病名がわかるまで

2011年8月1日、336453㎝で生誕

すぐに新生児肺炎、黄疸を患い、NICUにて治療を受け、みんなより一週間遅かったけど、完治して無事退院しました。

おっぱいが大好きで、毎日たくさん飲みよく寝る手のかからない子でした。

 34か月検診では、887069㎝と周りにいる誰よりも大きくポチャポチャしていました。

その後も体重も身長も常に成長曲線の一番上でした。

 67か月検診では、984074㎝になり、発育面でも何の指摘もありませんでした。


しかしそのころから、成長がいつのまにか緩やかになっていきました。

一般的にも成長が緩やかになる時期だったのと、すでに10㎏近くある息子を特に不安に思うことはありませんでした。

 910か月検診では、993076㎝と前回の検診から成長が進んでいませんでした。

そこで初めて「運動ゆっくり目」との記入がありました。

「体重が重いので、運動はゆっくりで心配ない。しかし1歳3か月で歩かなければ、原因があるかもしれないので、念のために病院へ」と説明を受けました。

1歳からたかばい、伝い歩きはあるものの、歩かない…。

その頃にはいつも以上に大人しく、よく寝るようになっていきました。

1歳3か月で手足のむくみが出て、様子を見ても改善しませんでした。

歩かないのも気になっていたし、念のためと近くの市立病院へ連れて行きました。足のむくみは子供には少ない事らしく血液検査で原因を調べる事になりました。「いつからそんな顔色?」「おなかの腫れは?」と全く気にもしていない質問をされました。

血液検査の結果、「白血球とヘモグロビンが考えられないほど少ないので、今日から入院して造血剤を使う」との説明を受けました。

仕事中の旦那に連絡して来てもらい、夫婦で説明室へ向かいました。

「肝臓に影が見えていて、異常があるので造血剤では間に合わないので輸血する」なにが起きたかわからない…。ついさっきまでなんの問題もなく生活していたのに…。

エコー、X線、…次々と検査している。

朝に病院に来て、もうその時には夕方になっていました。

総合病院は午前診しかなく、すっかり暗くなった病院で検査をしているのは息子だけ。

10人以上の先生が息子を囲み、難しい表情をしていました。

その時点でやっと事の重大さを理解しました。

不安なまま朝を迎え、ふたたび夫婦で説明室へ向かって、

「おそらく悪性リンパ腫か白血病です。母子医療センターに転院した方がいいので救急車を呼びましょう。」と説明を受けました。

息子の待つ病室へ帰り、夫婦で息子を抱き大泣きしました。

『こんな小さいのに、まだ一年しか生きていないのに、死んでしまうの?』

絶望しかありませんでした。

どうしようもない気持ちで救急車に乗り、母子医療センターに入院しました。

血液検査、骨髄の検査を受けて、説明室へ呼ばれました。

「骨髄異型性症候群」息子についた、初めの病名でした。

前白血病の言われ、抗がん剤を使用して骨髄移植を受けなければ助からない病気。

「ドナーが見つかり、骨髄移植に成功すれば70%の確立で助かる。」と血液腫瘍科の先生から説明を受けました。

ドナーが見つかり、移植が成功して70%……確立が高いとはとても思えませんでした。

その後すぐ輸血が始まり、見る見るうちに息子の顔色、むくみは良くなっていきました。

元気な息子を見て『絶望している場合じゃない。助かると信じるしかない。

仮にこの子の人生が人より短いのなら、生きている今を大切にしてあげたい。

病院の中だろうと、この子の喜びを見つけて一緒に笑いたい。』

と考えるようになりました。

突然の入院から34日経ち完治に向けて頑張る決意を持てた頃に転機が訪れました。骨髄異型性症候群ではないかも…

抗がん剤を使うためにカテーテル手術を受け、治療がスタートすると思っていたのに、目標を失ったような気持ちでした。

再び検査を受けて、入院から1週間後に「代謝疾患かもしれない」神経科の先生から説明を受けました。

入院から2週間たっても病名は確定せず、毎日検査ばかりでした。

先生が一生懸命してくれていると頭では理解していましたが、お腹が大きく腫れている息子を見ていると、焦りから常にイライラしていました。

 


入院から16日「ゴーシェ病」息子についた病名でした。

生まれつき遺伝子に異常があり、通常よりも酵素活性が低下するため、糖脂質を分解・代謝することができず、肝臓・膵臓・骨などに蓄積してしまう。これが原因で臓器や骨に様々な症状が現れて、神経症状を伴う事がある病気。

『生まれつきってずっと元気だったけど?……』

『神経症状ってなに?これからどうなるの……』不安で仕方ありませんでした。

神経症状を注意深く見ていくために、それからは神経科の先生が主治医になって、診てくれるようになりました。

あまり情報のない病気なので、わからないことだらけでした。

入院から3週間たって、第1回目の酵素補充治療が始まりました。

点滴を入れることにより、息子の体に不足している酵素を補って、代謝を手伝ってくれる。

しかし脳には薬が到達しないらしく、神経症状(斜視・開口障害・けいれんなど)が起きたら、進行を止めることは難しくなる。

とりあえずは目立った神経症状はなく、歩行しないのは肝臓や腎臓の肥大からだと判断して、Ⅰ型として経過を見ることになりました。

これから一生、2週間に1度の点滴が必要になったけど、半年生きられるかわからないと思っていたことから思うと、その時は少しうれしく思えました。

そして入院から1か月半たって、無事に退院できました。

毎日なんの問題もなく生きる日常がどれだけありがたいのか、身に染みて感じました。

今まで何事もなく生きてこられたことも、まるで奇跡のように思えました。

 

その後、2週間に一度の点滴、3か月に一度の大学病院通院を続け、神経症状を気にしながらも日々をすごしていました。

『このままⅠ型ならみんなと同じように生きられるのかな…』

『神経症状ってどんな風に始まるだろう…』

などと毎日どうしても考えてしまいました。

大学病院では「Ⅰ型にしては肝脾腫がひどい。目の動きも少しどうかな?Ⅱ型ではおそらくないと思う。Ⅰ型かⅢ型かのどちらかだな。」と説明を受けました。

病名が確定したのに、これからどうなるのか全くわからない。

親切に答えてくれている先生の言葉も不安に思ってしまい、インターネットや知り合いの医師から情報を集める毎日でした。

『何もしないで後悔するのは嫌だ。今できる最良の治療を受けたい』そんな気持ちでした。

退院して4か月たって、息子は歩けるようになりました。

人よりずいぶん遅い成長だけど、私にとっては大きな希望になりました。

その頃、ゴーシェ病について詳しいという他府県の先生が、大学病院に来ているとの知らせを受けて、会わせてもらいました。

他府県の先生に会いゴーシェ病について沢山の説明を聞けて、やっと子供の病気についての疑問点が解決しました。

そして目に神経症状がでているので、神経型のゴーシェ病だと説明を受けました。

突然現実を突き付けられたような気持ちでしたが、不思議な事に少しすっきりしました。『目の動きがたまに何となく…?』私自身気が付きながら、

受け入れてなかったせいかもしれません。

 初診から半年近い時間をかけて

進行型難病といわれるゴーシェ病神経型と知り、それと共に生きる息子を

この先なにがあろうと横で支えようと心に決めました。